こんにちは!アメリカのオハイオ州から来たデイブです。隠岐高校などで外国語指導員として働いています。私の趣味は山地でハイキングをすることですが、出身のオハイオ州には山地はあまりありません。2019年の夏、来日した時に、生まれて初めて登山できる山の近くに住みました。
隠岐に来た時からこの2年間で、大満寺山をはじめ、トカゲ岩、都万の高田山、五箇の岳山など、島後のどの登山道でも歩きました。隠岐の高木に囲まれて過ごすこと、数百年前に建てられたお寺やコケに埋もれた神社を偶然に見つけることが大好きです。日本では、自然と地元の歴史が絡み合っているので、集落から離れた人影もない道でさえ生活感が感じられます。それに対して、アメリカでハイキングに行けば、色々な意味で「孤独」を感じる時があります。日本の登山道を歩いている私は、神社かお寺を見ると、「昔に誰かがここに来たから、将来も誰かが来る」と思って、心が慰められています。
初めてハイキングに行ったのは数年前、子どもの頃です。夏休みの時、父が提案したハイキングに家族でよく行ったので、私の中でこのアクティビティへの関心を育んでいました。多くの場合、私たちはアメリカ東部まで行って、コロラド州の雪化粧をしているサングレ・デ・クリスト山脈やワイオミング州のウインド・リバー山脈で歩いていました。このような山地の景色と地元のオハイオ州の農地には、天と地くらいの差がありました。そして、山の中を歩いたり、高い山頂を見たりすると、ハイキングにどんどん夢中になっていきました。
昔は、ハイキングに行った時に、寝袋やテント、適切な食料を持って、山の中で2~3日間しか過ごしませんでした。しかし、高校生になって、アパラチアン・トレイルについての本を読んだきっかけで、長距離のバックパッキング(パックを背負って旅行すること)に興味を持つようになりました。
アパラチアン・トレイルとは、アメリカ南部のジョージア州から東北部のメイン州まで、アパラチア山脈に沿った3500キロほどの歩道です。普段それを完走するには、5カ月間ぐらいかかります。その5カ月間のうちに、アパラチアン・トレイルをハイキングする人たちは毎日朝早く起きて、約25キロの距離を歩いて、避難小屋に泊まるかテントで寝ます。必要なもの全部をバックパックに入れて背負っています。
このようなアパラチアン・トレイルを私も歩きたくなり、どうしても完走しようと思いました。そのため、いろいろな準備をし、ついに大学を卒業した後でこの歩道をチャレンジすることができました。オハイオ州から一緒に来た家族に見送ってもらい、2018年3月18日にジョージア州で歩き始めました。最初は一人だけで進んでいましたが、すぐ他のハイカー(徒歩旅行者)と出会いました。ベルギー人の若い女性、イギリスのロンドンから来た男の子、アメリカのワシントン州出身のおじさん2人など、色々な人たちと仲良くなり、一緒に歩き続けました。日本から来たハイカーともすれ違いました。
最初は、毎日長い時間歩くことに私の体は慣れなかったため、ゆっくりペースで進んでいましたが、1ヶ月が経ったらハイカーの生活に馴染んできました。毎朝、日の出と共に起きて、軽い朝食を食べて、持ち物の全部をバックパックに入れました。それができたら、トレイルを出ました。昼ぐらいランチ休憩をとってから、次の避難小屋までまた歩きました。そこに着いたら、夕食を自炊して、寝ました。こういう風に私は5カ月間ぐらい過ごしました。その途中で、近くの市村で食料を買ったり、暖かいシャワーを浴びるためにアパラチアン・トレイルから離れた時もたまにありましたが、ほとんどの日々はハイキングをすることに費やしていました。
8月下旬、私がメイン州に着いた時には、疲労が既に溜まっていました。ひざの痛みでうまく歩けなくなり、足もまめだらけでした。しかし、アパラチアン・トレイルを無事に完走した時の達成感は、一生忘れられない気持ちでした。そして、ハイキングをした時にできた友だち、出会ったおもしろい人たちは、この経験の中で最も大事なことではないかと思います。
日本でも、ハイキングをした時に色々ないい人たちと出会いました。日本の人たちは、ハイキングや自然との触れ合いに対する熱心な気持ちがあるのではないかと思います。その熱心な気持ちは私の性格にもよく合っています。島後の歩道を歩いていた時も、私と同じくアウトドアーズが好きな人たちと交流しましたが、島外にもハイキングができるところはまだまだ圧倒的に多いです。去年は、鳥取県の大山を登山し、中国地方の小距離のトレイルも完走しました。今年の6月は、鳥取県の三徳山三佛寺まで登りました。そして、これから他の日本の山を登山する予定です。富士山については、将来いつか登ろうと思いますが、「登山道には人が多すぎる!」とよく聞いています。また、四国八十八箇所に興味を持つようになったので、今から2~3年後にお遍路に行くかもしれません。
遠く離れているオハイオ州から日本に移住するには、大変なことは多かったです。日本語ができなかったし、日本の文化や習慣もあまり分からなかったからです。しかし、ハイキングへの気持ちを通して、この国の人たちや山岳とすぐ繋がりました。これからも、自然と歴史が豊かである日本の中で色々な発見を楽しみにしています。
筆者:デイブ(外国語指導助手、アメリカ出身)
翻訳:イザベラ
写真:①デイブさん撮影、②~③デイブさんの友達撮影
Commentaires